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まだまだ、不登校ガール☆

プロフィール

ブログ名
まだまだ、不登校ガール☆
ブログ紹介
大学2年生から
不登校気味の
大学4年生

不登校という
『常識』から外れた、私の
リアルな気持ちを
『常識』にとらわれずに
ありのままに
記録したいと思います。

今年の目標は
『考えることをあきらめない』
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コントロールか運命か

2010/08/07 02:04
前の記事に、「不登校・ひきこもり脱出レポート」のトラックバックがついていた。
不登校引きこもり脱出方法・・・普通に考えたらそんなものはない、と思うけど、そんなの分んないじゃんね。
不登校引きこもり誘発ホルモンみたいなのがあって、クスリや手術で1日で解決〜なんちゃって。

15日間の脱出方法かぁ・・・早い、早い。今の世の中じゃ、すぐリバウンドしちゃうよ?
わたしは何日間うじうじしてたんだろ!?長いけれどあっという間。。。
でもとっても深かったなぁ。
あ、心の闇が深かったんじゃなくて、得たものが、ね。
不登校歴も年季が入ると、かけがえのない人生の一部になっちゃったりして。

私、自分でもびっくりするくらいこの脱出レポートに無感情だった。
もう、不登校だとかひきこもりだとか、どうでもいいんだと思う。
今の状況を打開するより、自分の価値観を造り変えていく方に必死。
自分の常識を疑って、考えて、発見して、仮定して、納得する。そしてまた疑う。そうやって感じる世界の景色を変えていく。
この繰り返しの先に、結果としてマトモなニンゲンっていうのががあるのかもしれない。
私の場合、カワリモノ、ジユウジンって呼ばれる人になりそうな気もするけど・・・(笑)
ま、それもどうでもいいんだぁ。
ひきこもりの問題児ってことで、自分でもネタにしちゃうくらい(笑)吹っ切れてる。

この図太さ・・・
昔の私は、そんな風になろうだなんてちっとも考えてなかったのに、
今では自分から進んでネタにしてるという不思議。
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肘ついてごろ寝するのも首が曲がって結構しんどいもんだ。

2010/07/30 01:29
結局私は何をしたいのかと言うと、「楽になりたい」んだろうな。
来る日も来る日もごろ寝してテレビ見ていたい、とか言うんじゃない。
そんなのホントは全然、楽じゃないものね。

身軽になって、感情がすべらかに動き、自由なかんじ。
そんな「楽」になりたい。
楽になれる努力なら、苦労してもいい。
でも、ただやるほど不安や不健康が重なって、心が摩耗するだけなら、頑張りたくなんかない。
お金がたくさんあって、友達がたくさんいて、美人でかわいくて、どれだけみんなから愛されても、現在進行形で自分が楽になってると思えなければ、虚しいだけだよなぁ。

人間楽へと流れやすいと言うけれど、それはホントに正しくて、でもそれはぐうたらすることとは限らなくて、確かに一旦はぐうたらすることに流れるかもしれないけど、それは楽じゃないって気づくから、よりよい楽な道へと進んでいくんではなかろうか。

心ほがらかに、楽に、自由に。そして、身軽に。
これを成し遂げるため「だけ」に、私たちのアタマは備わっているんではなかろうか。
楽な動き、楽な姿勢、楽な世界の見方・・・すなわち楽な生き方を探しているんじゃないかなぁ。
そしてそれは赤ちゃんの時からずっと変わらないという(笑)
生まれたときから、複雑な世界のなかで楽に生きられるよう、自然と現在まで流れてきた・・・まぁ、そんなもんか。
どっかの数学者さんが言ってた「科学は世界を分かりやすくし、用語や方程式は思考を短縮するためにある(※意訳)」に納得。だから理屈や理論は楽になるためにあるってことだよね。
人を楽に自由に幸せにしない論理は間違ってるんだよ。
あくまで真実は世界のすべてであって、論理は世界を分かりやすくしてるだけ。
考えてみれば、なーんだ当たり前のことだな、って思っちゃうね。。。

ま、とりあえず私はより楽な生き方を目指して、階段をヨッコイショヨッコイショ登らない身体をめざします!!(笑)
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最近

2010/07/23 21:56
最近、以前やっていたスポーツをまた始めました。
といっても、ほとんど自主練なのだけれど。
体の筋肉も、姿勢も、呼吸法も、気持ちも、すっかり衰えてしまったけれど、
何もやらなかった間にいろいろ考えて、頭を整理できたので、
自分の思想をもって、体を動かせてる実感があります。

家にこもってる間に(笑)筋肉がやせてしまったけれど、
それまでの筋肉は、バリバリの体育会系のごつごつした効率の悪い筋肉だったから、
リセットできてよかったな〜って感じです。
これからはインナーマッスルも使って、呼吸に重点を置いて、
効率よく、上手く体を使うことを覚えていきたいです。

やればやるほど体調が良くなって、強くなれるような・・・そんな練習をしたいな。

やっぱり大事なのは呼吸だな。
きちんと呼吸しながら体を動かそうとすると、上手く体が伸びなかったり、力が入らないもどかしさがある。
でも、力が入らないからって、この弱弱しい筋肉を使ってあげないと、無駄な力が入ったり、体が余計にゆるんだり、内臓が弱ったりするんだと思います。
変に筋肉が固まって伸びなかったり、この力が入らないもどかしさは、リハビリで苦しむ人の感覚に似てるんじゃないかな!?

あまり考えず、その場しのぎの楽な動き・・・体の中心から動かそうとせず、腕や足だけで何とかしようとする動き、無理な動きでつい呼吸が浅くなったり、呼吸が止まるような動き・・・をする方が集中しなくていいから楽だし、上手くなった気分になれる。
でも、それじゃ骨盤が開いたまま筋肉がついたり、妙に疲れやすくなったり、体痛めたり、あと、受身な気持ちになる気がする。
病気にならないためとか、ダイエットとか、勝つため、とか、スポーツは人によっていろいろ目的はあるけれど、
健康もダイエットも勝つことも、あくまでそれは結果であり未来であり、達成できるか分からないものだから、
ホントは練習の中にある快楽を追求していきたいよね。
体のバランスが取れて、体の調子がどんどん良くなっていく感覚・・・
体と心はつながっている。だから、体の調子がよくなって体がスムーズに動くようにすることは、イコール心が元気になって心が自由を感じること。
これは理屈としてすごい分かりやすい快感だと思う。
でも、やってみて分かる。自分の肉体感覚をつかむセンスの鈍さに・・・
そして、これは自分の心を感じる、センスの鈍さにもつながるのではないでしょうか。
今は、呼吸と体の軸を重視しながら、体が何を感じているのかを感じることに集中しています。

とりあえず、早くも骨盤が締まってきました。
さらに、顔も引き締まってきたような・・・気がするような、しないような(笑)
体も姿勢が整って・・・シュッとしてきた!?・・・ような気がするような気がします(笑)
・・・むーん、夏明けにはナイスバディーになるぞー!!(本気!)
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向上心

2010/07/17 15:47
頑張ろう。
自分を変えよう。
そんな風に思って、努力しているとき、なんだか虚しくなるときがある。
わたしはこの頑張りを、どこに持っていくつもりなのか。
わたしはこの頑張りに、意味を見いだせなくなる。
やらなきゃ、頑張らなきゃと思う気持ちに、私のあまのじゃくな心が顔を出す。
どうして、頑張ろうとしてるの?
私は、答えられない。

わたし、やり方間違えてるのかな。
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暗記の力

2010/07/09 00:47
大学のテスト勉強で暗記をしているときに、ふと、思いついたことです。

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恥ずかしいことに、私は昔から暗記が苦手です。
歴史とか、英語(特に単語力・・・)、漢字、丸暗記しないと始まらない無機化学・・・が嫌いでした。
代わりに考えることが好きで、数学とか、科学とか、作文とか、あまり暗記をしないで理解するものが得意でした。

あるとき私は考えました。
「理屈やストーリーを通さずに、ただ詰めこみ丸暗記しただけでは、そのうちに全部忘れてしまうだろう。
そんな勉強は将来何の役にも立たないし、何の面白さも引き出さない。
理屈やストーリーを通して理解してこそ、世界の見方が広がって、より強く自由に生きていけるはず。
だから、丸暗記するような勉強より、モノゴトの筋道を理解して、考える力をつける方が大事だ。」

「詰め込み教育」なんて言葉がネガティブに使われる今、いや昔から、この私の考えはありふれたものでしょうね。
――詰め込み教育をした結果、難関大学に入って社会を引っ張って行くべき若者が、資格とか勉強はできるのだけれども、自分の力でモノゴトを考えることができない――
英語教育も似たようなことが言われていて、単語だとか文法だとかそういうものをたくさん暗記した結果、学問としての英語学は極めたけれども、自分の力で喋ったり書いたり、英語を使えない人が多い、と。

相変わらず、お受験のための詰め込み教育や、暗記をして勉強した気になることを美徳とする日本人は健在だけれど、
一方で、暗記の価値が疑われ、今、暗記の価値は世間で落ちていっている・・・
現代社会では、現実の暗記のあり方と、暗記の価値のバランスが崩れている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

暗記っていったい何なんでしょうか。
人間にとって、広く深く考えられるようになることが一番大切で、暗記することは、考えるための道具にすぎないのかな?
ワタシはこんなこと知ってるんだぞーって自慢することくらいしか、丸暗記は使えないのかな?
暗記の価値は、私にとってずっと謎でした。
そもそも暗記が嫌いなもんですから、この謎は根強く常にモヤモヤとありました(笑)だからって、暗記勉強放棄して学生やめる勇気もなく、色々考えて工夫しながら、四苦八苦したお陰で、なんとか大学までこれました。

でも最近になって、暗記はすごく大事かもしれないと思うようになりました。
そもそも、わたしの心がひんまがってるのは、暗記を大事にしなかったから、もともとひんまがってたのが一層ひどくなったんじゃないかという・・・そんな気もしています(笑)(暗記にダメ人間の責任丸投げ!?いえいえ、そんなことはありませんよ・・・)

小学生の時、「1192つくろう鎌倉幕府」って年号を覚えたと思います。しかし、歴史の年号とか、覚えにくいうえに、小学生が覚える意味なんてあるのかさえよく分からないですよね。
○○世紀後半とか、大まかに分かっていればいいんじゃないか・・・そんな言い訳が思い浮かびます。
確かにそれは正論だと思います。
でも、「暗記」だけを取り出して考えたとき、違ったものが見えてきます。
まず、暗記っていうのは、暗記するモノを素直に受け止めないと、できないことです。
余計なことを考えたり、迷いながらやったら、覚えようとしても頭に入ってきません。

「1192年」は「鎌倉幕府」がおかれた年。
「biodiversity」は「生物多様性」。誰が何と言おうと、生物多様性。

その淡々とした、血の通わぬ、ストーリーのない文字列、単語を、どれだけありのまま、素直に理解できるか。
余計な感情、迷い、そういうものをできるだけ排除して、余計な回路を頭の中に作らないこと。
まずは、頭をヘタに混乱させず、目の前の事実を、事実として、淡々と頭の中に入れなければなりません。

暗記とは、現実をありのままで認識する力をつけることなのではないでしょうか。

人間には、回りの情報を安易に鵜呑みにさせないために、現実と心を分けるための壁が心の中にあると思います。
何でもかんでも、鵜呑みにしてたら頭と心が矛盾だらけになって壊れます。
しかし、現実から心を守るための壁が上手くコントロールできないと、現実を生きられなくなるのではないでしょうか。
心の壁がなさ過ぎる場合は、何でも真に受けて、常に降り注ぐ現実に耐えきれず、一過性の快楽におぼれたり、
心の壁がありすぎる場合は、現実をうまく認識できず、ついには妄想が現実だと思うようになって、妄想の中で生きるハメになったりするんじゃないかな。
だから、暗記は、この壁を一部だけ取り除いて、現実をありのまま素直に「受け取る」力・・・つまり、経験や情を徹底的に削った、今、対象がもつコトがらを認識する力・・・を鍛えるんじゃないかと思います。
逆に、考えることは、心の壁を厚くして、現実を気安く受け取らず、「疑う」力・・・つまり、経験や情、自分が持っている全てのものを総動員して、対象の本質を見抜く力・・・と言うことになるのではないでしょうか。

困難に出会ったとき、必要な情報をありのまま受け止めることは大事なことです。
これは、現実から逃げてる、とか、目をそむけてる、とか、そういう根性・惰性論とは違うことです。
人の言葉を理解するときに、独自の視点で勝手に解釈せず、ありのままの意味で理解できるかどうかは、
その人の姿勢だけでなく、現実をどれだけそのままの状態で頭の中に入れられる力があるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
これを鍛えてくれるのは、地道な暗記の訓練ではないでしょうか。
暗記があってこそ、冷静な思考ができる。
だからやはり、暗記力と思考力はどちらも大事なのです。

私は長いこと、暗記の価値が分かりませんでした。
だから、私は暗記をあまり大事にしませんでした。
だから、本を読んでも、スッと理解できず、読むのは遅いし、
ひとりよがりになりやすいのは、そのせいかもしれません。
友の言葉の中に、私を今の状況から救う言葉があったとしても、私はその言葉通りに理解できていないのかもしれません。
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目覚まし時計

2010/07/04 05:17
未だに、自分の人生を生きようとせず、責任を自分以外のなにかに押し付けようとする自分に気がつくことがあります。
あからさまに人に押し付けたりすることはありませんが、
あらかじめ言い訳を作っていたり、
世間とか習慣になっていることに、どうしようもないなぁ、と言い訳してあきらめようとしていたり。。。

しょっちゅう寝坊するんですが、
目覚ましかけても起きれないダメ人間です;;苦笑
寝る前に「明日も寝坊するかもなぁ〜〜でも、とりあえず目覚ましかけとこう。」
って思いながら、目覚ましをかけているときに・・・
気がつきました。

明日も寝坊するかもなぁ〜〜でも、(明日を信じよう!!だから、起きられるように)とりあえず(?)目覚ましかけとく、のか、
それとも、
明日も寝坊するかもなぁ〜〜でも、(目覚ましかけとかないと、なんか起きる気がないみたいに見えるから)とりあえず目覚ましをかけとく、のか。

前者の「とりあえず」という言葉が、消極的なオーラを出しているのに、「明日を信じたい」なんてポジティブな言葉に繋がると思えない。しかも、今の私は、起きよう!という意思がヨワヨワ〜っと萎えてしまってるみたい。
あきらかに後者が正解。起きるためじゃなく、起きれなかった時の言い訳のために、目覚ましをかけていました。
寝る前から、明日の寝坊のための言い訳をせっせと作っていたわけです。
早く寝て、目覚ましちゃんとかけました、ワタシはベストを尽くしました!!と言うために。

私は目覚まし時計に責任を押し付けようとしていたわけですね(笑)
なぜか分からないけど、起きれない(・・・から、私は悪くない)と言いたいわけです。
この言い訳をして、私が一番許してほしい人は誰かと言うと、自分自身なんだよね。
でも、起きたくなくて起きようとしないのは・・・誰でもない自分自身だって、本人である私がよく分かってるはずです。
自分にウソなんてつけないけど、自分はダメって思いたくないからウソつきたくなってしまう。
自己欺瞞。

1年前に、言い訳したくない、自分の人生の責任を受け止める覚悟をもって、主体的に生きたい。って強く思ったのに、未だに、あきらめたり、言い訳して生きようとする自分を発見することがある。
あきらめも、言い訳も、思考停止状態にするから危ない。
そして、自分の本音が隠されてしまう。
自分の気持ちが分からない人になってしまう。
理性は淡々とした事実の一面を教えてくれるだけなのに、感情であるあきらめに繋がるなんておかしい。
例えば、ウルトラマンに憧れる人がいたとして、
ウルトラマンにはなれないんだよ、って理性は教えてくれるかもしれない。
いい年してばかみたいだ!とか、人間が一瞬で巨大化することは物理的に不可能・・・とか色んな言い訳が出てくるかもしれない。
理性は行動を制限するけど、感情を制限することはできない。マヒさせることはできるけどね。
ウルトラマンになりたい気持ちがあっていい。
でも、未来の結果は違うかもね。そんで、ウルトラマンに憧れた記憶が残った。
ただ、それだけの話。

‐‐‐‐‐‐

それで、私は目覚ましかけずに寝ましたとさ。
そしたら案の定寝坊しまして、2度寝、3度寝をしました・・・
でも、起きる時間には、おぼろげながらも・・・ちゃんと目は覚めました。

そうです、私、どちらかというと、起きたくなかったんです。起きようとしなかったんです。
もちろん、起きなきゃいけないのは分かってましたよ。
これが自分の本音ですなぁ。
何事も、まず、本音を知ることからですね。
私に限らず、自分の都合のいい本音しか受け入れない人って案外多い気がします。
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自分

2010/06/26 23:37
父と母と全ての家族と
友と
私の記憶
私の世界のすべてが

今のわたしという人間であること
この偶然
不思議
驚き

わたしはなんとか自分を見失わないですんでいる
そして今も私は苦しいと思うことがある
でもそれに向き合おうとあがくことができている
今も自分の手を動かせること、
思考をコントロールしているという実感を持てること、
当たり前は、当たり前でない
もし、今日限りの命だったとしても
この1秒後に私は暴走し、頭が狂ったとしても
今、わたしが私でいられること、
この偶然
不思議
驚き

ありがたい
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